石塚城跡〔伊東氏48城 ⑥ ~ 宮崎県宮崎市浮田城ノ下〕

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私どもの店舗から車で5分足らずのところにあるのが、この『石塚城跡』
行こう行こうと思いながらも、近いのでいつでも行ける、と思っていると、
なかなか行かない・・・。 で、この日ようやく訪城!

ここ『石塚城』も「伊東氏48城」のひとつ。

応永年間に、門川伊東氏の伊東祐武が築城し居城していました。 門川伊東氏は、本家伊東祐時の七男祐景を始祖とする家で、14~15世紀頃 には、石塚・久津良(現高岡町)・清武など、日向国中部を基盤としており、この時、祐武は「石塚殿」と呼ばれていたそうです。『日向記』によると、「応永8年に伊東祐武が石塚城に入り、島津勢 を追い払った」と記されているようです。
応永25年、都於郡城の伊東本家は石塚殿との話し合いの上、加江田の車坂城と交換となり、石塚城は伊東本家の持城となります。

現在、石塚城跡の丘陵地には 生目小学校が建っており、ごくわずかの遺構が確認される、とのこと。

まずは、生目小学校に到着。

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この日は日曜日。 全ての門は閉まっています。

仕方なく、学校周囲に遺構らしきものはないかと散策。

歩いて一周回ってみたものの、特に何もない・・・。

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学校の周りをウロついていると、どうも人目が気になります。

怪しいものではありませんよーー、とつぶやきながら歩いていますが、

傍から見ると怪しくないはずがない。

もちろん、校内に入るわけにもいかず、ここで断念。

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最後にやや離れて、石塚城跡の遠景を一枚写真に収めて帰ることにしました。

よく考えると、もし門が開いていたとしても、学校関係者でもなく父兄でもない私を、「お城の遺構を探したい」という理由で校内にい入れてくれるのかなぁ??

 

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