穆佐城跡 ③〔伊東氏48城 ⑩ ~ 宮崎県宮崎市高岡町〕

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さて、本日は「穆佐城跡」を完全制覇するために再登城。

助っ人「Bo君」とともに。

前回は、大きな空堀、そして土塁跡まで探索し力尽きています。

今回は、前回のように迷いに迷って歩き疲れるということもなく、土塁跡まで到着。

では、城跡の奥深くまで進入開始です。

Bo君とともに・・・。

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緩やかな坂道を上り、

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歩くこと数分で、

何やら遠くに案内板が・・・。

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そして、一気に視界が開けます。

ここは、

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主郭北側の曲輪。

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立派な杉の木が立ち並んでいます。

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主郭全体をくまなく散策した後に、さらに奥へ。

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歩き進めていると、徐々に下り坂になり、

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下り坂を下り切ったところに、

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『堀切の底』 の案内板。

案内の通りに進んでいくと、

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ここは、堀切の底。

大きな崖下を歩いているかのよう・・・。

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この堀切の右側が、今まで歩いてきた曲輪の方角。(案内図のA地区とB地区)

この堀切の左側は、家臣団の屋敷が建っていた場所である「C地区」「D地区」があるらしい。

ただ、散策可能な道はこの堀切までとなっているそうです。

残念・・・。

さらに歩いていると、

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写真のように密集した杉の木のある場所。

まるで、深い森の中のよう。

ここでBo君とひと休み。

その後、ここから数分歩くと、最初の登城口から逆側の北側登城口に出ることになり、

城跡周囲をぐる~~っと歩いて駐車場に戻りました。

「C地区」「D地区」も全て散策できると思っていたので、非常に残念。

おそらく整備する予定もないのでしょう・・・。(-_-;)

『国指定史跡』なのに・・・。

 

 

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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