豊福城跡〔癒しの異空間・名和氏の居城跡~熊本県宇城市松橋町〕

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この日の5城目となる『豊福城跡』

「堅志田城跡」からは、車で約25分で到着。 迷うことなく案内板も発見。

ただ、駐車場が無く少々ウロウロして、城跡入口付近に邪魔にならないように駐車。

さて、ここ「豊福城跡」ですが、いよいよ知らないお城です。

実は、最後の目的地「八代城跡」に向かう途中にあることが分かっていたので、

ついでに寄ってみようと思ったに過ぎない城跡。

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まずは、この看板矢印の方向に曲がると、

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城跡への入口。

Bo君、いつものように先に偵察。

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『豊福城跡』 の案内板。 「←竹崎城跡 作徳明神→」が何なのか分からない・・・。

そして、入口を上ると、

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なかなかの雰囲気ある「異空間」ではありませんか!! 気取って歩くBo君。

 

今思えば、ここが『二の丸跡』になるようです。

そして、本丸入口に案内板。

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『豊福城跡』 (以下、原文)

この城跡は、一見、水田中の島状独立台地のように見えるが、もとは北方、猿の山丘陵の西端の裾部が南方に延びた台地で築城の際、掘り切って外濠の役目をなさしめ、独立の台地としての城郭を形成した。(東西約二百六十五m 南北約二百八十五m、ほぼ台形) 築造年代ははっきりした記録はないが名和長年の子 義高が八代郡を領した建武元年(一三三四)の直後に内河彦三郎義真が代官として下向しているからその時築かれたものであろう。その後、名和・相良両氏によって剥奪・奪回が繰り返され、天正十五年(一五八七)当時九州一帯に勢力をのばしつつあった島津氏が豊臣秀吉の征討をうけ、本国に封じ込まれるまで約二百五十年間、攻防の中心であった。その後は自然廃城になったと思われる。

ということらしいです。 では、本丸跡へ!

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そんなに面積は広大ではない『本丸跡』 こじんまり・・・。

本丸跡の横には、

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「空堀」のような跡。

そして、本丸跡に立ち並ぶ「銀杏の木」

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この銀杏の木、推定樹齢 約380年 とのこと。

さて、本丸跡を下りて、二の丸全体を散策している途中に振り返ると、

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『本丸跡』 の全景がなんとも美しい。

さらに少し離れて、

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二の丸跡の大木とともに本丸跡の写真を一枚。

この大木も美しいので、

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陽光を交えて写真を一枚。

さらにさらに、大木の裏に回り、

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この木の歴史と力強さを感じる写真を一枚。

思いのほか、意外にも、期待以上に「癒される空間」でした。

では、本日最後の目的地「八代城跡」を目指します。

 

 

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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