我が家から車で約20分のところにある国指定史跡『蓮ヶ池史跡公園』
このような史跡公園があることを、つい最近まで知らなかった・・・。
おそらく地元宮崎でも知らない方々が多いはず。
82基もの「横穴墓」が確認されているようで、横穴群としては日本南限のもの。
園内の敷地面積は18万平方メートルで、「堅穴式住居」や「高床式倉庫」が再現されており、
緑豊かな自然の中を、1時間ほどかけてゆっくりと散策できるそうです。
ということで、家内とかわいい孫を連れて、今日も歴史巡り。
自宅を出て迷うことなくすぐに到着。
『蓮ヶ池史跡公園 みやざき歴史文化館』
入口正門から入ると、すぐ左には、
池。 これが「蓮ヶ池」でしょうか・・・。
池のほとりには、
鳥さんたち。
よーーーく見ると、
首を後ろに回して寝ている?? ようです。
池には、
仲良く泳ぐ親子の鳥さん。
池を左に見ながら奥に進むと、案内板。
『史跡 蓮ヶ池横穴群』 (以下、原文)
この横穴群は、千三百、四百年前の古墳時代の墓地で、現在八十二基の横穴が発見され国の指定した史跡となっています。稲荷池の東側丘陵、御諏訪池の西側丘陵、東側丘陵の三集団に分けることが出来るようです。ここでは、壮大な高塚墳のような、権力者(豪族)の墓から家族墓としての性格へ移行していることがうかがわれます。形式的には、玄室のほかに、前室をもつ特異な横穴(第十二号)を除いて、おおよそ次のような形式にわけられます。
- 玄室がやや縦長の長方形、四注造りの家形で、棟は尖ってドーム形、玄室の四周に排水溝をもつもの。
- 玄室の床面が、逆梯形、四注造りの家形、天井はドーム形で、羨道が長く、先細りとなっているもの。
- 1、2の変形、または退化形式とみられるもの。
この横穴群は、昭和四十二、三年ころ、この地に宅地造成の計画がもちあがり、昭和四十四年緊急発掘調査が実施されました。その結果、学術的価値が認められ、昭和四十六年七月十七日に国の史跡に指定され、保存することになったものです。
さらに奥に進むと、右手に見えてくるのが、
『厩(うまや)』 (以下、原文)
この建物は、宮崎平野の農家によくみられた厩で、市内上畑地区から移築したものです。内部には、馬が飼われた囲い、餌を与える飼葉桶、作業場となった土間、鍬をかけた板壁、いろいろな農具の置場所とされた棚、藁を積み上げていた屋根裏など典型的な厩の造りを見ることができます。
そして、この厩の横には、
『鍛冶屋』 (以下、原文)
この建物は、明治15年以来大淀地区で山林・農工具を作っていた高村鋸刃物店の諸道具や炉を移設し、鍛冶作業場を再現したものです。鋼を熱する炉、温度を上げるために空気を送り込む「ふいご」、大小の鎚や打ち台、鋼を冷す湯槽、完成品などを見ることができます。
園内駐車場からの風景。
整備された美しく広大な池。
この池のそばには、
梅の花が満開。
この時期、様々な種類の梅の花が咲いています。
この梅の木は・・・。(-_-;)
なんでしょね・・・。(-_-;)
と、ここで急に雨が降り始めます。
雨の中、かわいい孫を連れ歩くわけにもいかず、この日はここまで。
ほぼ見ていないまま・・・。
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