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宮崎県日南市にある「南郷城跡」は、我が家から車で約50分。
南郷城は、飫肥城主・伊藤祐慶により、島津氏に備えるために築かれた城であり飫肥城の支城の1つです。
日南海岸を見下ろす小高い山の上に築かれた山城であり、ふんだんに石垣を有した立派な城であったらしいのですが、一国一城令により廃城となります。
南郷城跡のふもとに到着し、いざ山頂を目指して車で上り始めたのはいいが、
道が狭いのなんの・・・。ゆっくりと慎重に運転しなければ脱輪しそうな道。
もちろん、対向車との離合は到底無理。
前から車が来ませんように・・・、と祈りながら運転している途中、
いきなり出現してきたお墓。
日向国を治めていた『伊東氏 累世の墓』らしいのです。
飫肥藩初代藩主から十二代藩主までの十二柱が立ち並んでおり、
私の背丈以上に大きなお墓に圧倒されます。
お墓から更に坂を上ったところ、ようやく旧本丸跡と思しき開けた場所に到着。
周辺を散策すると、思っていた以上に石垣が残っており大いに感動!
荘厳な天守を構える城も良いが、私は断然このような遺構を残した城址に
心を動かされるのです。
そして、旧本丸跡からの眺めが絶景!
そろそろ家路につこうかと車へと戻っていたところ、この南郷城跡の管理をされている麦わら帽子をかぶったおじいちゃんとお会いする。
おじいちゃんが仰るには、まだまだたくさんの石垣があるけど、
生い茂った草木に隠れて石垣が見えなくなってしまっているらしい。
今、草木を刈って、全ての石垣が見えるように整えている最中だから、
また数カ月後に来てみなさいね。 とのことでした。
管理のおじいちゃん達に感謝の言葉を述べつつ、南郷城跡山頂からふもとまで下りた私は、南郷城址入口の西麓にある「中村神社」に寄ることにします。
中村神社は、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとした十六神を祭神として七〇八年に創建したと言われており、7つの近隣の宮を含めた総社となり、もともとは八社大名神と呼ばれていた、とのこと。
患者さんたちの回復と帰路の安全を願って神社をあとにしました。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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