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飯野城跡を出た私は、『加久藤城』に到着。
先ほど、飯野城跡の本丸下で、『加久藤城 連絡道 →』という案内板を見つけたときに、「歩いて行こうかな~~」とふと考えたのですが、歩かなくて正解。
約4~5kmの道のりでした。 あぶない、あぶない・・・。
この加久藤城。もともとは北原氏が「久藤城」として築いた城。後に、島津義弘によって二つの城を縄張りに加えられ、「加久藤城」と名を変えたそうです。
加久藤城には、島津義弘の「正室 広瀬夫人」と「嫡子 鶴寿丸」を置いて城を守らせます。そんな折、日向の大勢力・伊東氏が加久藤城に攻め込んできます。
かの有名??な 木崎原合戦の発端となった地が、この「加久藤城」」なのです。
『加久藤城 大手門跡』の案内。当時をしのぶ様子は特にありません。
この細い道を車で進むものの、道幅が狭くなり慌てて後退。駐車場が見当たらないために路上駐車します。申し訳ありません。
車を降りて歩くこと数分。
小さな案内板を見つけます。これは分かりにくい。案内板の矢印のまま進みます。
てくてく歩いていると、
道の先に案内板を発見!
『史跡 加久藤城跡』
更に歩を進めます。 そしてこのあたりが、
「二の丸跡」のようです。
そして、その左手に、
「本丸跡」です。
ん~~~~~。 あまりにも寂しい。
南九州での、歴史の大舞台となった城なのに・・・。
もの寂しさを感じながら、ここから車で数分のところにある『木崎原古戦場跡』に向かうことにします。
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