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「馬ケ岳城跡」をあとにして、10分もしないうちに3ヶ所目の目的地である
『御所ケ谷神籠石』の近くまで到着。
そもそも「神籠石(こうごいし)って何だろう??」と思っていたのですが、
神籠石とは久留米の高良山の列石が古くからそう呼ばれていたことから付けられた遺跡名だそうです。この御所ケ谷神籠石は、列石を基礎とした城壁(土塁)で山を囲んだ古代の山城であることが調査で分かっています。
さて、ようやく狭い農道が交差した場所に「案内板」を発見!
『御所ケ谷神籠石と周辺の史跡』
要約しますと、「7世紀に国外からの侵攻に備えて築かれた古代の山城跡で、面積は35万平方メートル、全周3kmの大規模な遺跡。「建物の礎石」「貯水池と推定される遺構」「7つの城門」など、1300年前の優れた土木技術を目の当たりにすることができます。」との説明。
ここから更に車を走らせます。車1台しか通れないような狭い坂道を上ります。
そして、ようやく林道の終点。
そしてここが、登山道の入り口。
案内板があります。
『御所ケ谷神籠石』
要約しますと、「我が国は、663年 百済救援のために朝鮮半島に派兵。唐・新羅の連合軍に白村江の戦いで敗退。敗戦後に、唐・新羅の侵攻に備え神籠石タイプの山城で国防体制を強化。御所ケ谷は大規模な山城であり、その完成度の高さから中央政権が京都平野を防衛の要として重視していたことを示している。」
『御所ケ谷神籠石の発掘調査』
要約しますと、「平成5年から発掘調査を行い、当時の工事の様子が明らかとなり、出土品からも神籠石が築かれた時代を知る手がかりとなっています。」
『御所ケ谷神籠石 見学マップ』
この地図を見ると、驚くほどの広さが確認できると同時に、丸1日かかっても全てを見学することは困難であることが分かります。
ここにも親切に「パンフレットBOX」がありましたので一部頂戴します。
登山道の入り口です。
この道の先には、悠久の時を経た今も、悠然と存在する遺構の数々があることは分かっていますが、ただ今日は時間がありません。パンフレットを見ると、素晴らしい遺構の写真が載っていますが、後ろ髪を引かれる思いで今日はこの場を去ります。本日最後の4ヶ所目となる目的地「豊前松山城」へと先を急ぎます。
今になって思うこと。
足早に4ヶ所の城跡・史跡を「時間が無い。時間が無い。」と言いながら回ろうとしたことが大きな間違い。1ヶ所だけをじっくりと味わえばよかったと・・・。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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