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仕事で長崎に来ています。
宮崎市から長崎市内まで約400㎞。1回の休憩を入れて4時間で到着。
熊本地震の後、初めて九州自動車道を走ったのですが、驚くほどに道がうねっていました。今さらながら、地震の恐しさを感じた次第です。
九州自動車道から見ても、多くの家々の屋根にはブルーシートがかかっていました。速やかなる復興を心よりお祈り申し上げます。
さて、仕事を終えた私は、今回訪問を楽しみにしていた場所の一つ、「亀山社中」へ向かうことにします。
この「亀山社中」。
坂本龍馬による日本初の商社で、言わずと知れた、のちの『海援隊』です。
土佐藩を脱藩した龍馬は、勝海舟に師事し門人となり神戸の海軍操練所で学びます。海軍操練所閉鎖の後に、薩摩藩に保護された龍馬と同志たちは長崎にやってきます。薩摩藩と長崎商人の支援を受けて結成したのが、この「亀山社中」。
亀山社中が長州藩のために、航海技術を生かし大量の武器や船を調達し運搬したことは有名な話。それが薩長同盟の締結につながる大きな役割を果たし、明治維新へと突き進んでいくわけです。
そんな大舞台となった場所に向かう途中にこのような案内板。
『上野撮影局跡』
我が国の「写真の祖」と言われている上野彦馬の撮影局跡です。
坂本龍馬のよく見る有名な写真。
紋付き袴にブーツを履いて斜に構えて写っている写真ですが、あの写真を写したのが上野彦馬です。
上野撮影局跡を通り過ぎ、家々が密集している小高い丘を登り始めると、大きな
鳥居に出ます。鳥居の右横に、
このような案内板。
矢印の通りに、鳥居をくぐってさらに登ると、
またまた鳥居が! 『伊良林稲荷神社』
この鳥居のすぐ右脇に側道があり、さらに登ります。
そろそろ太ももがパンパンに・・・。(-_-;)
そして・・・、
「あと70m」の案内板。 坂道の70mは遠い・・・。(-_-;)
そしてようやく、
『亀山社中の跡 ~ 長崎市亀山社中記念館』に到着。中に入ると、
大きな龍馬さんの写真。この部屋は写真撮影可ですが、奥の間は資料室になっていて撮影禁止です。暑い日でしたので、汗をダラダラ流しながら館内を見ていると、親切に「うちわをどうぞお使い下さい。」と貸していただきました。
正直なところ、もっと広くて大きな建物をイメージしていたのですが、意外な程にこじんまりとした建物で少々びっくり。とは言いましても、十分に龍馬さんを堪能できた満足の一時でした。
今回も私の悪いクセが出て、「なかなか長崎まで来ることもないから・・・。」の一心で訪問したい場所をたくさん見つけています。目指すは、『出島』『眼鏡橋』『大浦天主堂』。では、先へ急ぎます。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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