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急用にて、急遽実家に帰らなければならなくなった私ですが、用事を済ませた後はここぞとばかりに城巡りを開始します。今回も時間に限りがありますが、ゆっくりと時間をかけてまわりたいので、欲張らずに目的地は2ヶ所にします。
まずは1ヶ所目の『若松城』。
関ケ原の合戦の後、筑前国に入封した黒田長政が、本城である福岡城の防衛のために六つの出城を配置します。『黒田六端城』と呼ばれ、六つの城は全て本城・福岡城の東側に配置され、豊前国への構えとされています。
この黒田六端城の一つが「若松城」です。
*黒田六端城(筑前六端城)
若松城(福岡県北九州市若松区)
松尾城(福岡県朝倉郡東峰村小石原)
益富城(福岡県嘉麻市中益)
黒崎城(福岡県北九州市八幡東区)
鷹取山城(福岡県直方市永満寺)
麻底良城(福岡県朝倉市杷木志波)
地図で確認すると、見事なまでに福岡城の東側を、北から南に向けて真っすぐに六つの城が配置されているのが分かります。
そしてこの若松城、実は「幻の黒田六端城」と言われている城です。
なぜ、幻・・・なのか。
若松城は、現在の若松区と戸畑区の間の海峡中央部に浮かぶ「中島」という島に築かれていた城でした。海側からの侵入を防ぐための重要な役割を持った城であり、多くの軍船も係留されていたという話も残っているそうです。
一国一城令により廃城となるわけですが、今では城跡は全く残っていません。
ましてや今現在、この島すら存在しないのです。
明治14年の洞海湾の工事により、島は削り取られて完全に消滅したという話。
そうせねばならない理由があったのでしょうが、なんとも寂しい話です・・・。
ゆえに、今ではその面影すら感じることができない『幻の城』なのです。
城跡が無い、島が無いことは分かっていますが、若松城跡に行ってみます。
『案内板』を見つけます。
もしかすると!! っと地図を見ましたが「若松城跡」「中島跡」などの文字は見当たりません。
今は写真のように、若松と戸畑を結ぶ若戸大橋がかかっており、この橋の中央辺りの真下くらいに「中島」があったそうです。
岸壁を歩いていると「石碑」を発見!
もしかすると!! っと近づいてみると、
『お汐井汲みの場』 だそうです。
なんでしょ?? 勉強不足です。 帰って調べます。
(調べてみると、伝統的なお祓いの儀式だそうで、神官が海水を手桶に汲んで、 榊の枝でお汐井を山笠や関係者にかけてお祓いをすることらしいです。)
そして、橋の逆側に移動しますと、
「若戸渡船」の乗り場があります。
よーーーし!! こうなったら、限りなく若松城跡に近づくしかありません。
しかし、船に乗るためには車を駐車場に入れておかなければなりません。
普通、港には駐車場があるものなので探してみますが見当たりません。
そこで、船の乗り場の年配の方に駐車場の場所を聞いてみました。 すると、
『今日は日曜日やけ、警察は来んよ! その辺に車を止めとき!!』
とのこと。 さすが、我が故郷・北九州!!
車を止め、船乗り場で100円払い、いざ乗船!!
戸畑から若松に向けて出航後、1分ちょっとで、
ちょうど橋の真ん中あたり。
この海の下に「中島」があり「若松城」があったのだと思うと感慨深いものです。
今では島もないので、「若松城」の遺構などあるはずがないのは当然ですが、
せめて、「昔この海の中央に島があって、その島には若松城というお城があった」ということを記した『案内板』や『石碑』でもあればと思ってしまいます。
それほどに、全くと言っていいほど、なぁ~~~んにも無いのです。
そんな『幻の黒田六端城 若松城』でしたが、目で確認できない分だけ、今までで最も想像(妄想)を働かせ、城巡りを堪能できたように感じています。
さて、今から船で戸畑に戻った後は、本日の本丸『小倉城』を目指します。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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