戦国時代の歴史小説を数多く読み漁ってきた私ですが、なぜか今まで「斎藤道三」を詳しく描いた本とは出会いませんでした。
知識として知っているのは、斎藤道三の娘「濃姫」が、織田信長に嫁いだことくらいのものです。ただ、イメージだけは出来上がっていました。
一介の油売りからうまく画策して武士となり、下剋上により美濃を乗っ取った典型的な戦国大名。『美濃の蝮(マムシ)』と呼ばれていたくらいの道三ですから、己の野望を果たすためにはしつこいくらいに様々な策を弄し、かつ、戦場においては典型的な武断派の荒くれ者で、一切の容赦はしない血の通わぬ冷たい男。
ようするに「狡猾な豪傑」であり「高潔」ではないイメージ
そして、今回読み終えた本『国盗り物語』によってイメージは一新します。
物語の始まり、元々は京都妙覚寺の僧侶でした。その時の名前は「法蓮房」。
僧としても優秀であったようですが、その後、還俗し「松波庄九郎」と改名。
松波の姓を名乗ることも、後々を考えての策士ぶりを発揮する庄九郎。
庄九郎は油問屋の『奈良屋』に近づき、その時の女主人と夫婦になり、名を
「奈良屋庄九郎」と改めます。商才があった庄九郎は奈良屋を拡大していきますが、奈良屋での立場は妻である女主人が上。
ここでまた、庄九郎は策士ぶりを発揮し、一計を講じます。
奈良屋をつぶし「山崎屋」として油問屋を復活させ、名を「山崎屋庄九郎」と改めます。もちろん、庄九郎が主人となり立場は逆転。
話を短くはしょってますが、結果的に「山崎屋」として復活させたことで、「奈良屋」の全ての人たちは庄九郎に感謝することになります。さすが、策士です…。
この辺りの話までで、グイグイと物語に引き込まれていきます。
その後、天下を取る野望実現のために、まずは「美濃国」に目を付け土岐氏に巧妙に近づいていきます。ところで、庄九郎は何度も名前を改めています。出世のたびに名前が変わり、ここに至るまでも『法蓮房 → 松波庄九郎 → 奈良屋庄九郎 → 山崎屋庄九郎』 と改名を続けています。
美濃に入り家臣に取り入れられてからも『西村勘九郎 → 長井新九郎 → 斎藤新九郎』と名を改めまています。着実に出世を続けた証といえます。
美濃に入り美濃一国の国主となるまでの話も劇的であり興味深いものですが、ここでは記しません。ただ、私が抱いていた斎藤道三のイメージが完全に変わったことは確かです。
『狡猾な豪傑であり、高潔ではない』とイメージしていたと前述しましたが、実は『狡猾な豪傑であり、意外に高潔』なんですね。狙った獲物は喰らいついて離さない、必ずや目的を遂げる、という「蝮(マムシ)」の要素は十分ですが、目的達成のためには綿密な計画を立て遂行し、そして「信」「義」を重んじ、慈悲深い政治を行ったために領民からは慕われる存在となっていたようです。あくまでも、司馬遼太郎先生の歴史観からの認識ですが・・・。
この2冊の本を読みながら、最も「へぇーーー」と思ったことですが『楽市楽座』は織田信長が始めたものとばかり思っていたのですが、実は斎藤道三だったみたいですね。道三がもともと商人として活躍していた頃、何を売るにも「許可」が必要であり、さらに利益も理不尽な分配となります。この点を改革し、稲葉山城の城下での商いは「楽市楽座」としたそうです。これを大々的に広げたのが、道三の弟子ともいえる織田信長だったようですね。
さて、これからは『国盗り物語 織田信長編』に突入します。
楽しみ・・・。(*^^*)
最後に、先日のことですが、昔放送された大河ドラマ「国盗り物語」を見ました。斎藤道三を演じていたのは『平幹二朗』さんでした。
名優さんがひとり、またひとりと亡くなっていくことを残念に思いつつ、
深くご冥福をお祈りします。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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