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今、私の中で熱いブームとなっている地、「都城」。
島津氏発祥の地である「都城」。
『島津氏といえば薩摩でしょーー!!」と私も思っていました。
事の始まりは鎌倉の頃、源頼朝が平家を滅ぼした後に、現在の都城市のある場所に地頭を置くことになり、それを命ぜられたのが「惟宗忠久」。
のちの「島津家初代 島津忠久」です。
地頭となった忠久は、この地の大荘園『島津荘』を管理することになり、ここから
名を「島津忠久」と改めます。これが、島津氏発祥の地と言われている由縁です。
ちなみに、『都城(都之城)』という地名になったのは室町に入ってからのこと。分家である「北郷義久」が城を築き『都之城』と命名。これが地名の由来です。
北郷氏は、江戸時代になると本家の命により名を「島津」に改めます。
これが『都城島津家』の始まりとなるわけです。
この日は、家内と娘、そして孫も連れての「都城島津邸」訪問です。
ただ、私以外の面々は、ここ都城島津邸に全く興味がない模様。(-_-;)
そりゃそうでしょうね・・・。
「国登録有形文化財」となっている『御門』
都城島津家の家紋入りの軒瓦が見えます。
邸内に入り、すぐ左に折れ進むと、
『剣道場』 ここも国登録有形文化財です。
慶応3年(1867)築で明治12年に邸内に移築されたそうです。
中に入ってみます。
床が低くなっており、釘を上から打たない方法で造られているのが特徴です。
家紋である「島津の十文字」が見えます。
ゾクゾクっとします・・・。 私だけですが。
外に出て、さらに歩き進むと、
『石風呂』 (以下、原文)
これは大きな石をくり抜いて作られた風呂です。
石風呂の下の部分に「つぶろ」(鉄の釜)を横に倒した状態で差込み「つぶろ」の中で火を焚き、石風呂の中の水を温めて入りました。
石風呂と「つぶろ」の隙間から水が漏れないように布などを詰め込みました。石風呂は湯が沸くまで時間がかかりましたが、保温性が良く、体の芯までよく温まる風呂でした。
こちらは、『手水鉢(ちょうずばち)』 (以下、原文)
これは大きな石をくり抜いて作られた手水鉢です。手水鉢とは、手を洗ったり口をすすぐための水を入れておく器のことです。
一般の家ではトイレの前に置かれていることが多く、木や陶器、石でつくられ、それほど大きなものではありません。
これらは大型で、神社・仏閣等に置かれているものと似ています。もともと手水鉢は、神社・仏閣を参拝するにあたり、手や口など、身を清めるために置かれたものでした。
中庭には大きな木があり、その先に「井戸跡」があり、さらにその先に、
『本宅』 (以下、パンフレットの説明文)
明治12年(1879)建設の旧邸を、昭和10年(1935)11月の陸軍大演習にあわせ改築したものです。昭和47年(1972)にも大改装を行い、その翌年に昭和天皇皇后両陛下がご宿泊になりました。現在、男爵のくらしと天皇ご宿泊の様子を再現展示しています。
私は本宅内に入りたかったのですが、今回は入らずに覗くだけにしました。
なぜならば、家内と娘が退屈そうな顔をして帰りたがっているから・・・。(-_-;)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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