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徳川家康が九男・義直のために、天下普請により築城したのがこの『名古屋城』。
現在では、「日本三大名城」または「日本三名城」のひとつとして数えられ、
「日本100名城」にも選ばれている国の特別史跡です。
私自身、「名古屋城」には強い思い入れは無いものの、いざ目の当たりにすると
興奮してしまうものです。広大な敷地の中に、数多くの重要文化財が点在しており見所満載。しかしながら、すでに日は暮れかけ、この日は天守周辺しか見学できないのが残念でなりません。
さて、さきほど「那古野城跡」の横からふと遠くに見えたのが、この風景。
二の丸跡の奥に名古屋城・天守がそびえ立っているのが見えます。
陽も落ちかけており、何とも風情のある眺め。(*^^*)
天守に向かうため、二の丸跡を出たところに、
『清正の石曳』 (以下、原文)
天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。
本像は、その様子を模したもの。
そして、天守のある本丸への入口「表二之門」から入る時に、右手に見えるのが、
この『東南隅櫓』。 地方のちょっとしたお城よりも大きいのです。
『重要文化財 東南隅櫓』 (以下、原文)
古名は辰巳櫓。かつては西側と北側に多門櫓が続いていた。昭和二十七年(一九五二)の解体修理により、木曽の木材が用いられており、宝永四年(一七〇七)に修理され、明治になり江戸城の鯱が取り付けられたことなどが明らかになった。
そして、東南隅櫓の前に建つのが、
『車寄(くるまよせ)』
ここは、将軍・重臣への正規の来客のみが上がる際の本丸御殿への正式な入口。
唐破風屋根の堂々たる外観で、本丸御殿の中でも最も太い柱が使われているそう。
そして、さらに奥に歩き進むと、
天守、出現!!
思わず「おおおぉぉぉーーーー」と感嘆の声。
石垣を高くまで積み上げ、さらに破風も多く、とても華やかな城です。
昭和20年の名古屋空襲で、大天守、小天守、本丸御殿などが焼夷弾の直撃を受けて焼失しましたが、復元工事により現在の形に修復されています。
現在も工事中で『名古屋城本丸御殿復元工事』の看板が据え付けられていました。
また、この大天守も本来の「木造」に立て直すための工事が始まるようですね。
さて、閉門時間が近づいてきていますので出口に向かう途中、
有名な『清正石』を見学。 (以下、原文)
名古屋城で最大の石垣石材。ここ本丸搦手枡形の石垣は黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえ普請の名手 加藤清正が積み上げたと伝えられ、清正石と呼ばれてきた。
そして、この門、
重要文化財の『旧二之丸東二之門』から出た私は、出口に向かうために、
再度「二之丸跡」を通ります。その時に写した写真がこれ。
陽も陰り、ライトアップされた名古屋城・大天守が見えます。
「那古野城跡」の訪問が本来の目的でしたが、やはり「名古屋城」は素晴らしい!
と言うよりも、『尾張国』はスゴイ!!
九州の片田舎では考えられない程に、半径100㎞圏内に歴史に名高い名城だらけ。
ここ名古屋城のすぐ北には『小牧山城』。
さらに少し北進すれば『犬山城』。
そこから少々西に向かえば『岐阜城』。
そして、その西南に『墨俣城』。
もうたまりません!!
ここ「尾張国」は、私にとってディズニーランドのようなところ。(*^^*)
今後おそらく、何度となく訪問する地となるでしょう。
ここ「尾張国(名古屋)」に住んでいる方々が実にうらやましい・・・。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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