⇒ 写真一覧はこちら
朝6時起床、7時出発で一路「肥前(佐賀)」に向かいます。
「小城陣屋跡」⇒「佐賀城」⇒「水ケ江城跡」⇒「蓮池城跡」、そして、家内に
文句を言われないように「鳥栖プレミアムアウトレット」で買い物して帰る予定。
いつもながらのハードなスケジュール。(-_-;)
龍造寺氏家臣の「鍋島直茂」が、龍造寺氏の後継として江戸幕府に認められ、
その後、龍造寺氏本家の「村中城」の改修を始めます。
直茂は、龍造寺氏への遠慮からか藩主にはならず、初代藩主には子の「鍋島勝茂」が就き「佐賀城」を完成させます。
その後、佐賀城を佐賀藩・鍋島氏の居城とし、さらに三つの支藩を創設。それが、
★鍋島三支藩
「小城 鍋島家 7万3千石」「蓮池 鍋島家 5万2千石」「鹿島 鍋島家 2万石」
そして、本日まず訪れたのが小城藩「小城陣屋跡」。 前述しました「佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂」の長男「鍋島元茂」が立藩したのが小城藩の始まりです。
小城藩初代藩主・元茂は、藩内の「娑婆岡」という地に住居を構えますが、二代・直能の時に「桜岡」と地名を改めます。その後、三代・元武が陣屋を構えます。
この三代・鍋島元武は、将軍・徳川綱吉に重用され幕政にも参加したほどの人物。
小城藩の歴史を振り返ってみると、『本藩である佐賀藩』と『小城藩を含めた三支藩』の関係性は決して良好なものではなかったようで、「財政難」や「城主格への格上げ」などの問題でいざこざが絶えなかったようです。
さて、3時間半運転してようやく到着。 遠かった・・・。(-_-;)
「小城陣屋跡」の遺構は小城藩邸正門前の石橋のみであり、当時の庭園跡が
「桜岡公園」として整備されています。
『桜岡公園』 の石碑と案内板。
この写真の奥に見える小高い丘「小城公園」に向かうために、
この橋を渡ったところに、鳥居があります。
『烏森稲荷神社』 三代藩主・鍋島元武によって創建されたもの。
階段を上り、
お参りして、奥に進むと、
『忠魂碑』
上ってきた階段とは別の階段から下りると、
巨大なクスノキ。 樹齢400年、とのこと。
そしてようやく、唯一残っている遺構である
『小城藩邸 正門前の石橋』を見つけます。
「石橋が脆くなっているため、車両での通行をご遠慮ください。」との看板が出ていました。残っている遺構がこの石橋だけなのにこのような状態。少々ガッカリ。
そして駐車場に向かう途中に、小城藩邸のあった風景を写真に収め、
次の目的地『佐賀城』に移動することにします。
今日は天気も良く、絶好の城巡り日和です・・・。(*^^*)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
Leave a Reply