佐賀城跡 ①〔日本100名城 ② ~ 佐賀県佐賀市城内〕

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「小城陣屋跡」から車で約15km東へ走ると『佐賀城』
本日の城巡りで最も楽しみにしていたお城です。

佐賀城といえば「佐賀藩・鍋島氏の本城」として有名ですが、もともとは鍋島氏の主君・龍造寺氏の本城「村中城」を改修し規模を拡大したお城です。

1584年、龍造寺隆信は島原半島にて「島津・有馬両氏の連合軍」との戦いで戦死。その後、龍造寺隆信の嫡男・政家の補佐役として実権を握るのが重臣・鍋島直茂。以後、主家である龍造寺氏を圧倒するまでの力を持ち、龍造寺氏の家督をも継承すると、幕府より「佐賀藩主・鍋島氏」を認められることになります。

その佐賀城に着いた私は、駐車場に車を止めて、
ワクワクしながら国の重要文化財『鯱の門および続櫓』に向かいます。

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近づいていくと屋根の上の「鯱」が見えてきました。
この「鯱」、『1.7m』もあるらしいのです。 意外に大きい・・・。
そして、鯱の門の周囲は工事中。
最近、訪れる城という城、どこもかしこも工事中なんです。
年末だからですかね・・・。 違うか・・・。(-_-;)

では、鯱の門から入城します。

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この『鯱の門および続櫓』は、幾度にもわたる火事や戦争の中、現代まで残っている遺構です。1874年(明治7年)、江藤新平を中心とした「佐賀の乱」の戦闘の際に、大半の建造物を失いましたが「鯱の門」は現存のまま。

その「佐賀の乱」の時の弾痕がこれ!

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このように今でも残っています。

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実に生々しい・・・。

そして、この大きな扉の門を入ってすぐ左側に、

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当時の「石垣」を保存しています。 この石垣も生々しく感じます。

そして城内に入り、振り返って「鯱の門」の写真を1枚、パシャ!!

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この鯱の門は、1835年の本丸再建時に本丸の門として建造されており、本来の城門は戦時の防備をふまえて建てられるのですが、江戸後期の建造ということもあり、防備よりも装飾的な要素が強いそうです。
だから、華やかで立派な門なのですねーーー(*^^*)

そして、すぐ目の前は本丸御殿なのですが、本丸御殿に入る前に、
『西門』に向かってみます。

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『佐賀城本丸歴史館 西門』  奥に「天守台」が見えます。

目を右に移すと、延々と石垣が続く光景。

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ただ、この長~~~い石垣は復元のようですね。

西門から入り、天守台の石垣を見ていると、

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「刻印」発見!! 当時のもののようです。
「天下普請による築城」の際には、このような刻印は多いものですが、
一大名の居城の石垣で刻印を確認することは珍しいようです。

そして、天守台に近付いてみます。

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もともとこの天守台の上には、小倉城天守を参考にして建てられた
「高さ38m 4重5階」の天守がそびえ立っていたそうです。
天守は『享保の火災』で焼失しており、それ以後再建されていない、とのこと。

実は、このあと大きなミスを犯した私・・・。(-_-;)
本丸御殿内を見学した後に、この天守台に上ろうと思っていたのですが、
完全に忘れていました。悔いても悔いても悔やみ切れません。

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この写真は、本丸御殿を裏から見たもの。

今から正面まで戻って、本丸御殿内を見学します。

では、移動!

 

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