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「西門」から「本丸御殿 正面入口」まで移動した私たちは、
入口近くのパンフレットをいただき御殿内に入ることにします。
ちなみにこの日は『葉隠』に関する催しを開催中。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠聞書』は、藩主・鍋島光茂に仕えていた「山本常朝」が武士の心得を口述したもので、佐賀藩の精神的支柱として継承されました。 ただし、決して「軍国主義的で死を美化しているもの」ではなく、「処世術の指南書(マニュアル本)」のような内容だったらしいのです。
さて、ここが本丸御殿の正面入口。
この日の佐賀城は、多くの旅行者で賑わっていました。
中国や韓国からの旅行の方々もいらっしゃいます。
「わざわざ外国からやってきて、なぜ佐賀城なんだろう??」 と思う私。
ま、ありがたいことですが・・・。(*^^*)
本丸御殿の入口右横に、
『アームストロング砲』の模型。
そして、その奥には、
『オランダ製モルチール砲』 という大砲。 これ、実物らしいです。
靴を脱いで、入口から御殿内に入って、
すぐ正面の間がこちら。
奥の右端に展示しているのは『青漆塗萌黄糸 威 二枚銅具足』。
「せいしつぬりもえぎいとおどしにまいどうぐそく」と読むらしい・・・。(-_-;)
初代藩主・鍋島勝茂が「島原の乱」の時に着用した具足が現存しています。
左端には『洋式銃』。
当時の佐賀藩は、日本国内最強と言われる程の強大な軍事力を誇っていました。
展示しているような最新式の西洋銃を早くから装備していたようです。
では、奥へと歩を進めます。
この長い畳廊下を歩いている途中、右手に見えてきたのが、
天守台。 この上に『4重5階』の天守が建っていたのですねーー。見たかったー。
そして奥まで歩き進めると、様々な展示物。
『佐賀城本丸御殿の鬼瓦』
この瓦の右側面に「天保八年酉三月 ○○瓦工善吉」の銘が確認できます。
そして、この肖像画が、
『十代藩主 鍋島直正(閑叟)』
幕末期の名君として名高い鍋島直正。
藩主となったのは17歳の時で、その後、数々の藩政改革を行います。
長年の課題であった藩財政の立て直しに着手し財政は改善。
そして、藩校弘道館の拡充により優秀な人材を育成し登用します。
強いリーダーシップで行政改革を行い、西欧列強の脅威へ備えるために長崎警備を強化。独自に西洋の軍事技術を導入し、日本初の「鉄製大砲(アームストロング砲)」や「蒸気船」を完成させています。
また、当時の不治の病「天然痘」治療のため、幕府に先駆けてオランダから牛痘ワクチンを輸入。このことが、のちの天然痘根絶に繋がっています。
日本が近代化していく中で極めて大きな役割を果たした名君でした。
その他にも、様々な資料を展示しています。
『佐賀城本丸跡発掘調査』
『明治・大正・昭和を経て』
『よみがえる佐賀城本丸御殿』
そしてこれが、時代により異なる礎石。
上の礎石が現時点のもの。 下の礎石は江戸時代のもの。
これらの他に、まだまだ展示物が数多く紹介されていますが、この本丸歴史館は
『無料』なのがスゴイ!!
十分に館内を堪能した後、「天守台」に上るのを忘れて、
次の目的地『水ケ江城跡』に向かった私たちでした・・・。(-_-;)
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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