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本日も晴天なり。
雲ひとつないこのような日は、城巡り・史跡巡りに限る。(*^^*)
そして、本日の目的地はお城ではなく「関所跡」。
「薩摩の三大関所」として有名な『去川の関所跡』を目指すことに!!
薩摩藩の陸路においては「出水筋」「大口筋」「高岡筋」が代表的な街道であり、
それぞれに「薩摩の三大関所」として設けていたのが、
★出水筋の「野間の関所」 ★大口筋の「小川内関所」 ★高岡筋の「去川関所」
当時鎖国していた日本にあって、薩摩藩は他藩の者が藩内に入ることを厳しく制限することで
国内でも有名な藩でした。その最大の理由が、琉球や唐との密貿易。
幕府は長崎を開港し諸外国との交易を行いますが、幕府以外の藩が外国との交易をすることは
禁じられています。しかしながら、薩摩藩は密貿易を行っていたため、これが幕府に漏れることを
極端に警戒し、他藩との交流を極端に絶った二重鎖国の政策を徹底的に貫くことにします。
そこで薩摩藩は、藩内に「9つの境目番所(関所)」を設置し、藩への人の出入りには「境目番所」
で入国目的や所持金などを入念に調べ、出国までの間も監視人を付けています。
藩境には「100ヶ所前後の辺路番所」を設置し、不穏な者の入国、薩摩領民の出奔を監視していた
そうです。
ちなみに「9つの境目番所(関所)は、
野間、小川内、去川、八郎ヶ野、夏井、求麻口(榎田)、紙屋、梶山、寺柱の9つ
さて、本日訪れた「去川の関所」ですが、もともとは16代島津義久によって国境の防備を固める
という目的で設置されたのが始まりのようです。
そしてその時に、去川の関所の御定番を任じられたのが『二見家』。
関所跡に行く前に、まずは駐車場近くの「二見家」に向かいます。
すると、二見家の門は、
固く閉ざされたまま。 入ることができません。
二見家の駐車場側に回ると、
ここもロープが張られており入ることができません。
私が入口付近で右往左往していると、近くを通りかかったおじいちゃんが
「見に来たとね?? 中に入ってもいいとよ!! 屋敷ん中は見れんけど。」 とのこと。
そのひと言で、侵入開始!!
このお屋敷。 案内板によると、南九州の民家の特徴である「二棟造り」という建築様式だそうです。
『市指定有形文化財 去川関所御定番 二見家住宅(主屋一棟)』
屋敷内も拝見したいものです。
さて、いよいよここから歩いて1~2分の「去川関所跡」に向かいます。
「去川」のバス停の裏から関所跡に入れるはず・・・。
そして、ここが入口。(-_-;)
草木がボーボー。(-_-;) 荒れ放題。(-_-;) これが「県指定史跡」かと思うと悲しい・・・。(-_-;)
そして、案内板。 『県指定史跡 去川の関跡』
案内板の手前に見えるのが、唯一残っている遺跡である『門柱の礎石』。
案内板を背にして、関所跡の全体を写した写真が、
これ! なーーんにもありません。 仕方ないか・・・。
まっすぐに奥まで進むと、
川に出ます。
当時、去川関所の取り締まりは非常に厳しいもので、川の向こう岸から「おーーーーい!」と
声を掛けたりしようものなら、「無礼者ーーー!!」と首を斬られたらしいのです。
歴史を感じ当時に思いを馳せる、ということもなくこの場を去る私。
さて、帰る前に、有名な『去川の大イチョウ』に立ち寄ってみることにします。
『国指定天然記念物 去川の大イチョウ』
この看板から100m、てくてく歩いて行くと、案内板発見!
薩摩藩の初代藩主「忠久公」が植えたイチョウらしい。
樹齢800年!!
そして、これがその大イチョウ!!
見事に散っています。
でしょうね・・・。 もう散る時期ですもん・・・。(-_-;)
さて、帰ろ・・・。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
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