⇒ 写真一覧はこちら
ここ『延岡城跡』は、当ブログの「稲津掃部助重政・雪江の墓」「宮崎城址」でも
登場した、あの「高橋氏(高橋元種)」が築城した城。
高橋氏が悪いわけではないのだが、清武城主・稲津氏への思い入れが強い私にとっては、
高橋氏のイメージは決していいものではない。
それが理由ではないが、なかなか「延岡城跡」に足が向かなかった私。
そもそも、「私」と「延岡」の相性があまり良くないのかも・・・、と思う節もいくつかある。
ただ、今回「延岡城跡」を訪城してみて思ったこと。
「もっと早く来ておけばよかったーーー」
と、素直に感じるほどの大迫力の石垣。
宮崎県下の城跡で、ここまで見事な石垣は存在しない。城好きでない方でも一見の価値あり!!
ということで、駐車場に到着した我々夫婦と愛孫。
広くて無料の駐車場が設置されておりこれは有難いのだが、登城口が分からない。
駐車場横に山道が見えているので、ここから登城を開始。
絶対にここが入口ではないと思われるが、とりあえずこの山道から登り始めると、
石垣に沿った細い道が続く。
さらに登り進めていくと、
『井戸跡』 発見。
そして、井戸跡の先に案内板。
『市指定史跡 延岡城跡』 (以下、原文)
延岡城跡は、県(延岡)藩主・高橋元種によって慶長六~八(一六〇一~一六〇三)年にかけて築かれました。元種は、松尾城(市内松山町)を拠点としていましたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築きました。当時は県城と呼ばれ、二つの河川を外堀とし、場内に内堀がつくられました。城は、天守台、本丸、二ノ丸、三ノ丸からなる本城(城山公園)と、藩主の居宅である西ノ丸(内藤記念館・亀井神社)の二郭で構成され、門・櫓などが整備されました。なかでも、二ノ丸にそびえる高さ二十二メートル・総延長約七十メートルの石垣は「千人殺し」と呼ばれ、本城郭を代表する石垣となっています。
慶長十八(一六一三)年、元種は改易され、肥前国日之江(長崎県南島原市)の有馬直純が五万三千石で入封しました。康純の時、承応元年~明暦元年(一六五二~一六五五)には城の大修築が行われ、三階櫓、二階門櫓などが完成し、翌年これを記念して今山八幡宮に梵鐘(初代城山の鐘・延岡の地名が初見する最古資料・内藤記念館所蔵)が奉納されました。しかし、永純の時の天和二(一六八二・天和三年説もあり)年、火災のため三階櫓などは焼失し、以後三階櫓は再建されませんでした。
元禄四(一六九一)年、永純は無城地の越後国糸魚川(新潟県糸魚川市)に転封となり、さらに越前国丸岡(福井県坂井市)に移封されました。その後、日向国初の譜代大名として、三浦明敬が下野国壬生(栃木県壬生町)から二万三千石で入封し、この頃から藩名に延岡が多く使用されるようになりました。 明敬は、正徳二(一七一二)年、三河国刈谷(愛知県刈谷市)に移封され、牧野成央が三河国吉田(愛知県豊橋市)から八万石で入封。延享四(一七四七)年には、陸奥国磐城平(福島県いわき市)から内藤政樹が七万石で入封し、明治四(一八七一)年の廃藩置県まで八代続きました。
そして、ここが、
『北大手門』 二の丸への入口。
北大手門の左側の石垣には、
数多くの「刻印」を見ることができます。 それも簡単に見つけられるほどに多数あり。
北大手門から城内を望むと、
巨大な『千人殺しの石垣』
大迫力の、
『千人殺しの石垣』
石垣をひとつ外すと全て崩れ落ちるとか・・・。 そして一気に千人を・・・。
圧巻の石垣!!
そして、石垣の右側から
本丸へ。
階段を上ったところに、
見えてくるのが、
本丸入口。
そして、ここが、
『本丸跡地』 そういえば、何の石碑かを見ていなかった・・・。(-_-;)
本丸跡地を抜けると、
さらに上り坂が。
歩いて1分も経たないうちに、
何やら石垣と入口のようなものが。
ぐるっと回り込むと、
『天守台跡』
この時期、様々な場所で「梅の花」を目にしますが、ここ天守台でも梅が・・・、
と思いきや、実はこの花、
『河津桜』 との案内板。 2月に咲いている桜があるんですね・・・。
そして、この桜の木の横に、
天守台への本当の入口。 今は封鎖されています。
そして、天守台からの眺め。 遠くに見えるのは「日向灘」。
さて、そろそろ天守台跡から下りますが、
上りとは別ルートを下っていると、
『三ノ丸跡』
三ノ丸跡の奥には、
『石御門跡』 の案内柱。
『石御門跡』 (以下、原文)
延岡城の大手口(北大手門)に対する搦め手(裏口)に相当する。城山公園南駐車場付近から延びる旧登城道を登った地点にあり、岩盤を削って門が造られ両側に岩肌が露出していることからこの名称がついたと思われる。また、真上には侵入する敵を攻撃しやすいように三階櫓廻りの石垣を巧みに配置している他、大手口に侵入する敵から逃れるルートにもなっていた。
石御門跡から少し下ると、
『若山牧水 歌碑』 との案内板。 そしてここには「梅の花」。
「延岡城跡」は、総じて美しく整備された城山公園となっており、
かつ、十分に歴史を感じることもできる城跡。
またいずれ訪れてみたいと思えるお城でした。
腹水・胸水・腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』
Leave a Reply