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私どもの店舗から車で5分足らずのところにあるのが、この『石塚城跡』。
行こう行こうと思いながらも、近いのでいつでも行ける、と思っていると、
なかなか行かない・・・。 で、この日ようやく訪城!
ここ『石塚城』も「伊東氏48城」のひとつ。
応永年間に、門川伊東氏の伊東祐武が築城し居城していました。 門川伊東氏は、本家伊東祐時の七男祐景を始祖とする家で、14~15世紀頃 には、石塚・久津良(現高岡町)・清武など、日向国中部を基盤としており、この時、祐武は「石塚殿」と呼ばれていたそうです。『日向記』によると、「応永8年に伊東祐武が石塚城に入り、島津勢 を追い払った」と記されているようです。
応永25年、都於郡城の伊東本家は石塚殿との話し合いの上、加江田の車坂城と交換となり、石塚城は伊東本家の持城となります。
現在、石塚城跡の丘陵地には 生目小学校が建っており、ごくわずかの遺構が確認される、とのこと。
まずは、生目小学校に到着。
この日は日曜日。 全ての門は閉まっています。
仕方なく、学校周囲に遺構らしきものはないかと散策。
歩いて一周回ってみたものの、特に何もない・・・。
学校の周りをウロついていると、どうも人目が気になります。
怪しいものではありませんよーー、とつぶやきながら歩いていますが、
傍から見ると怪しくないはずがない。
もちろん、校内に入るわけにもいかず、ここで断念。
最後にやや離れて、石塚城跡の遠景を一枚写真に収めて帰ることにしました。
よく考えると、もし門が開いていたとしても、学校関係者でもなく父兄でもない私を、「お城の遺構を探したい」という理由で校内にい入れてくれるのかなぁ??
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