人吉城跡 ①〔日本100名城 ③ ~ 熊本県人吉市麓町〕

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年末年始は実家の北九州市小倉に帰省。
帰省中に福岡県内の城巡りを予定していたものの、所用にてそれも叶わず。

せっかくの連休、1城くらいは訪城しておきたい私は、宮崎への帰途の際に九州自動車道を途中で下りて、熊本県「人吉城跡」に向かいます。

『日本100名城』の一つに選ばれている「人吉城」。しかしながら、私にとっては馴染みの薄いお城。
良い機会なので、ちょっと調べてみました。

鎌倉の頃、もともとは平氏の家臣・矢瀬氏が治めていた城でしたが、源氏の相良氏が遠江国から着任の後、
矢瀬氏を滅ぼし城主となっています。

戦国期に入り、相良氏は球磨一帯を統一。
1526年、日向真幸院一帯に勢力をもつ北原氏から攻められ城を包囲され膠着状態となりますが、
相良氏の援軍を当時北原氏と対立していた伊東氏の軍勢と見せかけた策が功を奏し撤退させることに成功。
この戦いは、人吉城が他家から攻められた唯一の戦いだったそうです。

その後、島津氏に臣従することとなり、さらには秀吉の九州征伐で降伏するものの、
相良氏は35代「670年」に渡り人吉城に在城していた、とのこと。

 

九州自動車道をひたすら南下していた私は、「人吉インター」で下り、5分ほどで『人吉城跡』に到着。
駐車場に車を止めたところ、駐車場前に水堀が見えています。 この水堀の右側を通過し、

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人吉城跡の南側の橋を渡り、

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訪城開始。

入ってすぐ右手に見えるのが、

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『御館跡庭園』 (以下、原文)

御館は、天和三年(一六八三)に城主相良氏の居宅が置かれて藩政の中枢となった場所である。公的な接客・饗応を行った表御殿の南端には、玄関がついた大広間や使者ノ間がおかれていて、この庭園を眺望できるようになっていた。本庭園は、霞がたなびくような中島を浮かべる池と優美な稜線を重ねる築山群による雅やかな空間の中に、立石群からなる力強い滝石組を要に、三様を見せる石橋を見所として配する池泉廻遊式庭園である。

庭園空間は園内にとどまらず、背後の高御城や原城の丘と一体のものであり、滝の水源を背景の山に重ねる奥行きの深い借景庭園でもある。重要な鑑賞位置である池の北側の礼拝石と滝口を結ぶ軸線は、中世に相良氏の居城であった古城跡へと向かう。構想は、水の流れに鎌倉以来の相良氏の歴史を重ね、一族の由緒をたどる祖先敬慕の遥拝庭園である。優雅にして力強く、小空間にして宏大であり、眺めにも勝る相良氏の想い。歴史ある大名ならではの名園と言える。

さらに奥に歩き進むと右側に案内板。

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『 ⇐ 本丸、二の丸、三の丸』 の矢印通りに石段を上ります。

すると、また案内板。

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さらに石段を上り切ったところに、また階段。

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ようやく階段を上り終わったところ、一気に視界が開けてきます。

そしてここが、

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『三の丸跡』

この石垣の上に上ってみると、

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このような広大な敷地。 そして、奥に見えるのが『二の丸跡』

一度、三の丸跡の石垣を下りた後に、

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この入口から二の丸跡に登城を始めます。

この日は、1月というのに日差しの強い快晴。

絶好の登城日和です。

汗をふきながら、いざ二の丸跡、本丸跡へ!!

 

 

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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