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北九州市小倉で18歳まで過ごした私。大学では4年間北九州を離れたものの、就職では運良く北九州市が赴任地となり、その後の大半を北九州で過ごしました。なのに、門司城の存在を知ったのは最近のこと。生まれ育った地元のことを意外に知らないものです。
門司城の歴史は古く、始まりは平知盛が源氏との合戦に備えて築かれた城、と伝えられています。戦国の世に移り、豊後国を本拠としている大友氏が豊前をも領した際、関門海峡を挟み大内氏との争いの場となったのがこの門司城。大内氏が滅んだ後は毛利氏との間で争奪戦が繰り広げられています。
そんな門司城跡に、5歳上の兄と兄弟仲良く訪れたのが先日のこと。案内板を見つけたところ、山頂の城跡までは「徒歩10分」。山道を嫌がる巨漢の兄。
上り始めて数分、門司城の歴史を記した石碑を見つけました。食い入るように読んでいる兄。まんざらでもない様子。
さらに歩くこと数分。
こんな建造物に辿り着きます。
「これは最近作ったものやろねー」と話しながら通り過ぎましたが、後から調べてみると、大日本帝国海軍による下関要塞が築かれた際の弾薬庫らしいのです。
さらに歩くこと数分、ようやく山頂の門司城跡に到着。
門司城址の石碑の横にも、下関要塞の名残りである砲台跡が残っています。
砲台跡の上に上り眼下を見下ろすと、
関門橋が見える素晴らしい景色でした。写真では伝わらないのが残念です。
小倉で生まれ育った私は小倉城くらいしか知らなかったのですが、調べてみると北九州市内に多数の城跡があることを知りました。約50ヶ所の城跡があり、そのうち遺構が残っている城跡は40ヶ所ほど存在しているそうです。
門司城跡をあとにして、このあと黒崎城址に向かうことになります。
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