黒崎城址〔黒田六端城① ~ 福岡県北九州市八幡西区屋敷〕

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本日、2城目の城跡めぐりです。門司城跡をあとにした私と兄は、北九州都市高速に乗り30分ほどで「黒崎城址」に到着。

築城年代は明確ではないようですが、古くは鎌倉時代まで遡るようです。
関ケ原の合戦の後、筑前国に入封した黒田長政は、本城である福岡城の防衛のために六つの出城を築きます。『黒田六端城』と呼ばれ、六つの城は全て本城・福岡城の東側に配置され、豊前国への構えとされていたそうです。
この黒田六端城の一つが「黒崎城」。

*黒田六端城(筑前六端城)

黒崎城(福岡県北九州市八幡東区)
若松城(福岡県北九州市若松区)
鷹取山城(福岡県直方市永満寺)
益富城(福岡県嘉麻市中益)
松尾城(福岡県朝倉郡東峰村小石原)
麻底良城(福岡県朝倉市杷木志波)

地図で確認すると、見事なまでに福岡城の東側を、北から南に向けて真っすぐに六つの城が配置されているのが分かります。

黒崎城は、黒田二十四騎の一人、井上周防之房(いのうえすおうゆきふさ)が城主となり治めるものの、江戸幕府の一国一城令により、わずか十数年で城としての役目を終えた、とのことです。

今現在は城山公園として存在しており、城址までは車で上ることができます。
駐車場横に、

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このような案内板を見つけ、案内板の真裏には、

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当時を思わせるような石垣が残っています。

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石垣跡の上に上ってみると、

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おそらく、ここが「二の丸跡」。

二の丸跡の先には、

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「黒崎城跡」の案内板。

その奥に、

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ここが「本丸跡」だと思われます。。

閑散とした寂しい城山公園でした。
ただ、今までに数多くの城跡を見てきましたが、荒れ地のままのような城跡も多い中、黒崎城址は山頂までの舗装道路と駐車場まで設置してくれているだけでもありがたく感じました。

前述しました黒田城主「井上周防之房」、ご存知ない方が多いのですが、実は歴史上、数々の大仕事をやり遂げた武将なのです。黒田長政の父「黒田官兵衛」が、
荒木村重の居城である有岡城に幽閉された際、有岡城に潜伏し、官兵衛救出に一役買っています。官兵衛の救出劇の話には、栗山善助がよく出てくるのですが、井上之房の智謀があってこそ救出は成功した、と伝えられています。
その後は、かの有名な福岡藩のお家騒動『黒田騒動』でも勇躍しています。

このあたりの話は、私の好きな作家・司馬遼太郎の『播磨灘物語』や、
葉室麟の『秋月記』や『橘花抄 』を読んでいましたので、これらの小説に描かれた歴史の一端を垣間見たような気がした満足の一日でした。

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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