高鍋藩家老屋敷 黒水家住宅〔宮崎県児湯郡高鍋町〕


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本日「くもり時々雨」の天気予報。
しかしながら、意外に空は晴れ渡っています。

晴れているうちに、近くの城跡に行こうと思い立ち用意していると、
家内が「私も行くーー」とのこと。
「ゆなちゃん(5ヶ月の孫)も連れていくーー」とのこと。

ということは、山登りするような城跡には行けないので、今日は前々からいつか
立ち寄ってみようと思っていた「高鍋藩 家老屋敷」に行ってみることに!

もちろん、家老屋敷など家内は興味ないのだが、ゆなちゃんを連れてドライブするだけで満足なのです。そして、家を出て1時間もしないうちに道にも迷わず到着。
立派な土塀で囲まれた茅葺屋根の貴重な文化遺産です。

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この家老屋敷、『黒水家住宅』と言います。
黒水家は、高鍋藩の兵法家としての家柄で、高鍋藩主秋月氏の家老職を勤めており禄高は140石。1石はお米150㎏分。今の価値に換算すると「1石=5万~8万円」らしいのです。ということは、いやらしい話ですが「年収700~1100万円」のご家老様ということになりますね。

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土塀の手前には小さな川が流れています。よーく見ると、鯉が数匹泳いでいます。

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そして、この門から入ります。観覧料「大人100円」とのことだったのですが、
どこで支払えばよいのかが分かりません。
すると、家老屋敷の母屋の横に建つ「籾蔵」の戸がガタガタっと開いて、にっこり満面の笑みのおじいちゃんが顔を現しました。

「屋敷の中の説明をしましょうか?」との優しいお言葉。
ぜひぜひ! と大人2人分200円を支払います。

まず、前述の『土塀手前の鯉』の話。

「以前はまだたくさん鯉がおった。きれいな色鮮やかな鯉もおったけど、
いつのまにかきれいな鯉はいなくなって黒いのだけになったんよ。
盗まれたんやろうねーー。あっはっはーーー」 と笑っていました。

そして、玄関からお邪魔します。

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玄関からこの「玄関の間」に上がるまで三段になっており、身分が高いことを示すそうです。そして「玄関の間」から左に入ると、女性や子供たちが過ごす「居間」があり、その奥に「台所の間」。

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ここ台所の床(地面)は『三和土』で、にがりと土を混ぜて叩いて固めているそうです。パッと見た目にはセメントで作られたように見えますが「土」なのです。

そして、玄関の間に引き返し右に入っていくと「控えの間」。その奥に「次の間」
更に右奥に「上の間」があります。

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この「上の間」。約200年前に作られたそうですが、随所に洒落たところがあります。掛け軸・机・硯・刀掛けなどの装飾品・備品も当時のものを置いています。
写真の左に見える小さな障子を開けると、中は立派な神棚でした。

「次の間」に戻り、屋敷裏に進むと「納戸」があります。

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当時の「馬具」「裃」「鳥かご」のようです。

そして、外へ。

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茅葺屋根にシートが掛けられています。最近、雨漏りし始めたそうで、来月から修繕工事に入るとのことでした。

ちなみに、この母屋の横にある「籾蔵」の写真を撮ることを忘れていましたが、
籾蔵に張っていた貼紙がこれ!

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籾蔵の中に入ると様々な展示品と説明書きがあります。

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この籾蔵の中だけで、一日ゆっくりと楽しめそうです。

たったの「1人100円」で、丁寧に詳しく説明してくれたおじいちゃんに感謝です。歴史好きな私は、『福岡から高鍋に秋月氏が下ってきたときの逸話』や『財部と言う地名が高鍋にかわった時の逸話』や『西南戦争で西郷さんが高鍋を訪れたときの逸話』などをおじいちゃんに教えていただき本当に楽しい一日でした。

おじいちゃんとの別れを惜しみつつ家路に着くことにします。
家老屋敷から車で出るとき、ふと屋敷を見ると、
おじいちゃんは立って見送ってくれていました。

感動・・・・。

 

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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