須木城址〔伊東氏48城② ~ 宮崎県小林市須木下田〕

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今日は天気も良いので、宮崎県小林市の城をいくつか巡る予定です。
「伊東氏48城」に数えられる『須木城』『戸崎城』『野尻城』『紙屋城』あたりをゆっくりと見て回ろうと思い、まずは我が家から最も遠い『須木城』へと出発。

この『須木城』。
麓に位置する「肥田木城」、中間くらいに「荒神城」、そして山頂に位置する
「松尾城(鶴丸城)」があり、この3つの城を総称して『須木城』と呼びます。
伊東義祐による伊東氏48城の一つで、戦国期には「米良氏」が代々城主を務めており、伊東氏の有力な家臣である「米良筑後守」は、伊東氏・島津氏との壮絶な戦いとなる「木崎原の合戦」に出陣し討ち死にします。伊東氏が滅んだ後は島津氏の領有となり、その後、一国一城令により廃城。

さて、ようやく1時間半かけて『須木城』近くに到着。
城址への入り口に迷いながらも山道を入っていくと、倒れている白杭を発見!

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無残にも根元から折れた『肥田木城址』の案内柱。

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とりあえず、立てて写真撮影。
山道を入ってすぐのところなので、山の麓のこの辺りが「肥田木城」だったのでしょう。

そして、10mくらい進むと、

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『荒神城址』の案内柱。
わき道を奥に進んでみると、

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空堀跡が奥へと続いています。

道を引き返し、さらに山頂に向けて進むと、

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『松尾城址』の案内柱。

そして、

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今なお残る「石垣」。思っていた以上に堂々と残っています。さらに、

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この入り口から「本丸跡」へと入ります。

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ここも、思っていた以上に広い本丸跡。当時はかなり広大な敷地を有するお城だったのでしょう。今では、おじいちゃんおばあちゃん達の憩いの場となっているようです。よーーーく見るとグランドゴルフ場となっていますね。そして、

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本丸跡の奥には、このような立派な大木が!!
葉や花がつく季節に、もう一度来てみたいものです。

さて、今から山頂を下りて、須木城主「米良筑後守」のもとへ・・・。

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車で2~3分のところに『小林市指定史跡 米良筑後守の墓』があります。

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友人がお墓に指を指して、米良筑後守のお墓を教えてくれていますが、
指を指すふとどき者はおそらく罰(バチ)があたるでしょう・・・。(-_-;)

では、次なる目的地へ!
目指すは『野尻城跡』

 

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