蓮池城跡〔鍋島三支藩② ~ 佐賀県佐賀市蓮池町〕

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「水ケ江城跡」を出た私たちは、この日最後の城巡りとなる『蓮池城跡』に到着。ここ「蓮池城」も『鍋島三支藩』の一つです。

もともと「蓮池城」は、龍造寺氏の居城。
龍造寺隆信没後、龍造寺氏家臣の「鍋島直茂」が居城としていました。
「鍋島直茂」が、龍造寺氏の後継として江戸幕府に認められ、
その後、龍造寺氏本家の「村中城」の改修を始めます。
直茂は、龍造寺氏への遠慮からか藩主にはならず、初代藩主には子の「鍋島勝茂」が就き「佐賀城」を完成させます。
その後、佐賀城を佐賀藩・鍋島氏の居城とし、さらに三つの支藩を創設。それが、

★鍋島三支藩

小城 鍋島家 7万3千石」「蓮池 鍋島家 5万2千石」「鹿島 鍋島家 2万石」

蓮池城は、元和の一国一城令によって廃城となりましたが、「蓮池鍋島氏」創設の際、蓮池城跡に陣屋を構え、その後は支藩として明治まで至っています。

『旧蓮池城略図』 の案内板。

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「蓮池城」は、現在の『蓮池神社』『蓮池公園』一帯に築かれていいたようです。

神社の裏手(案内板の場所)からの写真。

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この道を歩き進めると、すぐ右側に見えるのが、

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『マリア観音の石像物』 (以下、原文)

寛永十四年(一六三九)島原天草のキリシタン教徒が蜂起した。(島原の乱)若干二十三歳の直澄公は佐賀勢の総大将となり原城の攻撃にかかり戦功をあげた。その功が認められ、支藩蓮池の初代藩主となる。その戦のおり島原から持ち帰ったと伝えられる。今なおその影像がかすかに残っている。

キリシタン弾圧の目的で原城を攻めたのに、持ち帰った「マリア観音」を
城内に据えたのですね・・・。(-_-;) 少々、悪趣味に感じるが・・・。(-_-;)

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すぐ横には『お水堀り』の跡。

そして、拝殿に近づくと、

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このような素晴らしいイチョウの黄葉が!!
まぶしいばかりの光景でした!! (*^^*)

さて、これで本日の城巡りは終わり。
今からは家内のために「鳥栖プレミアムアウトレット」でお買い物。
家内の買い物に着いて行くことほど退屈なものはありません・・・。(-_-;)
ただ、「城巡りに着いて行くほど退屈なものはない」を言われるでしょうけど。

 

腹水胸水腎臓病専門 漢方カウンセラー西山の『薬匠堂 歴史探訪記』

 

 

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